Archive2025

数藤三園 個展「天と荒地」
会期:2025年7月23日 (水)~8月3日(日)
会場:横浜市民ギャラリーあざみ野2F-B展示室

搬入設営協力:高橋稜、辻響己

statement

元々画家や作家、それぞれの絵画や制作の話は平行線で交わらないということをなんとなく感じると同時に、私が交わる努力をしてないことを一方的に咎められるモノでもなくお互いが交わる努力をしないとどちらか一方同じ方向に両方が逸れてしまう。私はどちらもが交わる努力をして初めて獲得される鑑賞体験があると考えます。それを鑑賞者に甘えてると言われれば私のそう言った前提を共有できなければそれはそうなのだなと思う。それは仕方のないことです。私は私でやることをやるだけで、相手が引いてしまうとそれはもう叶わないのだから無理してこちらの態度を共有してもらう筋合いもない。そういう個と個の交わるか交わらないかというような操作を布を貼り付けない普通に描いたような画面でもしています。

私は既にある画面の関係性を無視するように絵具を用いて画面を覆い隠して絵画を制作します。ストロークが堆積して乾燥しマチエール化して、その上からストロークをまた引くと簡単に言えば画面に抵抗ができる。線と線が現在と過去で拮抗する。布の貼り付けに関しても布が筆の運びの途中にあることでストロークのテンションが変化する。私は画面に対してストロークを施す際にすでに施した絵の具からの抵抗を求めています。色彩同士が持つ視覚的な抵抗感も一部利用し、物質的な抵抗感を求めるのと同時にそれらから偶然にイメージが現れる瞬間を伺いながら筆を重ねています。

自らが為した行為の表象として絵具を扱っている。痕跡=私の意思。それらの痕跡と今の制作行為が拮抗する箇所に対して私は上にあげたような交わりを感じるし、下層の絵具との対比によって鑑賞中に見ている絵画の表面から、恰も小説でたびたび起こる唐突な場面の切り替わりのように別の場面へ連れ去られる感触もある。それらそれぞれの交わりや連れ去られの箇所がもつ力の勢力、それがどう魅力的に見えるか、という操作に関心があります。

ストロークを引いた箇所に布を貼り付けてストロークの行為自体がなかったことにもできる。(実際は布がねばりついて張り付いている段階で何らかの作為を想像することが可能なのだが)その作為の作為自体も後から如何様にも編集することができる。布にはストロークの邪魔以外にも布と関わった、付着した絵の具の痕跡が持つ作為の感触も先にあげたメディウムの力関係に直接的に関与する。絵の具を下敷きに均一にではなく指でなぞって部分的に付着させた布を裏表逆に裏返したとする。指でなぞった跡と、パウル・クレーのドローイング、転写作品のように手が画面と間接的にぶつかって絵の具のカスレが布に付着した痕がある。もしくは裏返す前に画面を部分だけ、布も含めたある区画分けされた領域をさらに塗りつぶすこともある。裏返したことによって布の形は対称ではないために付着した画面と新たに塗り分けた下部の画面が現れ断絶して見える場合もある。

私が求めた力関係の条件は、私にとって具体的なイメージが現れ、偶然性によってできたイメージがイメージとして成立するかは非常に危ういのだが、イメージ成立の臨界点に各メディウムの交わりや異なる場所へ連れていってくれる感触がどう関わっているかを見て乾燥させそのままにするか決定します。線を引く意思とそれを否定するように線を跨ぐストロークのそれぞれの衝突は、画面に対してプレゼンテーションをする様に描く従来の現代美術絵画が持つ、作家の見ている世界の提示を計画的に行う態度表明ではなく、これを描いている私が理想とする世界(が仮にあったとして)画面の中で実演し、それを遡及する形として体験する事に重きを置いた結果であると考えます。私の意思の痕跡が、冒頭に述べた交わる交わらないか分からないで戸惑っている状態から何とか交わろうと試みる一つの解法を一つ一つ個別のケースとして示していると考えています。

初出2025年7月23日、再編集2025年8月2日

数藤三園